誕 生 [フォノグラム時代]
沢田聖子さんは3つ上の兄、7つ下の妹の3人兄妹の真ん中。
1962年3月13日、都内の聖母病院で産声をあげた沢田聖子さん。
ご両親がクリスチャンというわけではなかったのですが、
聖母の「聖」と当時憧れていたヴァイオリニストの「しょうこ」という名前をとったそうです。
『聖子』と書いて『しょうこ』と読むのか迷っていたところ、
「聖徳太子」の「聖」と読むことが出来る、とのことで付けられた名前です。
そのお兄さんが子供服などのモデルをしていたこともあり、
聖子さんも小さい頃からモデル、子役などで雑誌やCM、ドラマに出ていました。
モデルデビューは生後11か月の時、"おむつ"のモデルだったとのこと。
子供服のみならず、多方面にわたって雑誌等の表紙、グラビア、広告等に起用されています。
渥美清さんの『パンシロン』のTVコマーシャル。
渥美清さんが小さな女の子を肩車しながら、「パンシロンでパンパンパン」と繰り返し唄い…
「この歌終わんないの?」と聞く女の子に、「本当に終わんないね…」と返す渥美清さん。
有名なコマーシャルで、記憶にある方も多いかと思います。
この女の子が沢田聖子さんでした。
TVドラマでは、宮脇健さんの「ケンちゃんシリーズ」の「おそば屋ケンちゃん」に出演をしています。
この出演には逸話があります。
所属していたモデル事務所からオーディションを受けた聖子さんでしたが、
当日すでに合格者は決まっており、いわゆる「出来レース」のオーディションでした。
聖子さんは「さくら」の一人でした。
ところがオーディションが終わると、宮脇"ケンちゃん"が、聖子さんを指名して
「この子でなければだめだ」と言い出し、関係者は大騒ぎ。
当時大人気の「ケンちゃん」のご指名だったため急遽聖子さんが合格者となり、出演へと…。
「不二子ちゃん」という役名で、前後篇2回にわたってヒロイン役を演じています。
後年、仙台のライヴハウスでライヴを演った時、
宮脇健さんの聖子さん宛のメッセージ・カードがお店にあったそうです。
馴染みにしているお店で聖子さんがライヴを演ることを知り、思い出したのでしょう。
オーディションで見染めた娘だったのですから、忘れるはずはないでしょう。
4歳の頃から中学1年の頃まで「音羽ゆりかご会」という有名な児童合唱団にも所属していた聖子さんは、様々な楽曲に名前を連ねているだけでなく、ソロのシングルレコードも出しています。
グリコのCM、雑誌「セブンティーン」「高一時代」など、
デビュー前までモデルの仕事を続けています。
どの雑誌を見てもその輝きは群を抜いていて、後の彼女を予感させる物ばかり。
生まれながらのタレント、スポットライトを浴びるために
この世に生まれてきたのではないかと思うほど…。
ただその道は平坦ではなく、むしろ紆余曲折の連続…。
決して順風満帆な人生を歩んで来ているわけではありません。
特にプロのシンガーソングライターとしての道を歩き出してからは、悩みも多かったはず…。
プロとしてのスタート、きっかけも、切れてしまいそうなほどの細い糸を手繰り寄せたものでした。
イルカオフィスの最終オーディションの時、聖子さんは二番手で、有力候補者がたまたま他の仕事とブッキングしたために来られなくなり、ある意味仕方なく次点の聖子さんが繰り上げになった形でした。
それもレコード会社関係者のほとんどが「この娘ではだめだ」という意見で、その反対を押し切ってデビューさせたのが、当時のイルカオフィス社長でもありイルカさんの旦那さんでもある、故・神部和夫さんでした。
イルカさんが産休に入っていた時期でもあり、事務所としても新しい人材を探していたこともあったのですが、アマチュアでの経歴も弾き語りの経験もなく、曲を創ったこともない素人の聖子さんに神部さんは何を感じたのか…。
「ごく普通の女の子だった」という沢田聖子さんに、どんな輝きを見つけたのか…。
もしこの日、一番手の娘が最終オーディションに来ていたら…。
もしこの時、神部さんが関係者の多数の反対意見に押し切られていたら…。
もし神部さんが、沢田聖子さんの消えてしまいそうなほどの小さな輝きに気づいてあげていなかったら…。
今現在、唄を唄い続けているのが不思議なくらいの奇跡の積み重ね…。
数え切れないくらいの偶然の積み重ね…。
もし何か一つでも違っていたら、永遠にすれ違いのままだったのかもしれない。
もしかしたら、出逢っていなかったかもしれない…永遠に。
いつだったか…沢田聖子さんと出逢えたこの奇跡に、
数え切れない偶然に感謝している…と伝えたことが…。
けれど聖子さんは、
『出逢いに偶然はない…。
出逢うべくして出逢った…。
出逢うことは、初めから決まっていたこと…。』
と私達の前で、一人ひとりの瞳を見ながら話されました。
2004年の10月リリースの『HistoryⅡ』というベストアルバムで、
1曲だけ新曲を収録します。
『誕 生』
この世に生まれてきた 今日を祝おう
"心から おめでとう"
あなたが ここにいること 感謝している
近すぎると照れて 大切な言葉を
言えずにいるけど 素直に贈るよ
"ありがとう"
星の数も超える生命を
遥かつないで呱呱の声を上げた
偶然なんかじゃないさ 感謝している
生んでくれたことも 生まれてくれたことも
忘れる日ばかり… だからね、一年一度でも
この世に生まれてきた 今日を祝おう
"心から おめでとう"
あなたがここにいること 感謝している
星の数も超える生命を
遥かつないで呱呱の声を上げた
偶然なんかじゃないさ 感謝している
この楽曲を聴き、応えをもらい、私のそれまでの考えは改めさせられました。
出逢えたことは偶然ではなく、出逢うべくして出逢ったのだと。
出逢うことは初めから決まっていたのだと…。
そして、最後まで…。
1962年3月13日、都内の聖母病院で産声をあげた沢田聖子さん。
ご両親がクリスチャンというわけではなかったのですが、
聖母の「聖」と当時憧れていたヴァイオリニストの「しょうこ」という名前をとったそうです。
『聖子』と書いて『しょうこ』と読むのか迷っていたところ、
「聖徳太子」の「聖」と読むことが出来る、とのことで付けられた名前です。
そのお兄さんが子供服などのモデルをしていたこともあり、
聖子さんも小さい頃からモデル、子役などで雑誌やCM、ドラマに出ていました。
モデルデビューは生後11か月の時、"おむつ"のモデルだったとのこと。
子供服のみならず、多方面にわたって雑誌等の表紙、グラビア、広告等に起用されています。
渥美清さんの『パンシロン』のTVコマーシャル。
渥美清さんが小さな女の子を肩車しながら、「パンシロンでパンパンパン」と繰り返し唄い…
「この歌終わんないの?」と聞く女の子に、「本当に終わんないね…」と返す渥美清さん。
有名なコマーシャルで、記憶にある方も多いかと思います。
この女の子が沢田聖子さんでした。
TVドラマでは、宮脇健さんの「ケンちゃんシリーズ」の「おそば屋ケンちゃん」に出演をしています。
この出演には逸話があります。
所属していたモデル事務所からオーディションを受けた聖子さんでしたが、
当日すでに合格者は決まっており、いわゆる「出来レース」のオーディションでした。
聖子さんは「さくら」の一人でした。
ところがオーディションが終わると、宮脇"ケンちゃん"が、聖子さんを指名して
「この子でなければだめだ」と言い出し、関係者は大騒ぎ。
当時大人気の「ケンちゃん」のご指名だったため急遽聖子さんが合格者となり、出演へと…。
「不二子ちゃん」という役名で、前後篇2回にわたってヒロイン役を演じています。
後年、仙台のライヴハウスでライヴを演った時、
宮脇健さんの聖子さん宛のメッセージ・カードがお店にあったそうです。
馴染みにしているお店で聖子さんがライヴを演ることを知り、思い出したのでしょう。
オーディションで見染めた娘だったのですから、忘れるはずはないでしょう。
4歳の頃から中学1年の頃まで「音羽ゆりかご会」という有名な児童合唱団にも所属していた聖子さんは、様々な楽曲に名前を連ねているだけでなく、ソロのシングルレコードも出しています。
グリコのCM、雑誌「セブンティーン」「高一時代」など、
デビュー前までモデルの仕事を続けています。
どの雑誌を見てもその輝きは群を抜いていて、後の彼女を予感させる物ばかり。
生まれながらのタレント、スポットライトを浴びるために
この世に生まれてきたのではないかと思うほど…。
ただその道は平坦ではなく、むしろ紆余曲折の連続…。
決して順風満帆な人生を歩んで来ているわけではありません。
特にプロのシンガーソングライターとしての道を歩き出してからは、悩みも多かったはず…。
プロとしてのスタート、きっかけも、切れてしまいそうなほどの細い糸を手繰り寄せたものでした。
イルカオフィスの最終オーディションの時、聖子さんは二番手で、有力候補者がたまたま他の仕事とブッキングしたために来られなくなり、ある意味仕方なく次点の聖子さんが繰り上げになった形でした。
それもレコード会社関係者のほとんどが「この娘ではだめだ」という意見で、その反対を押し切ってデビューさせたのが、当時のイルカオフィス社長でもありイルカさんの旦那さんでもある、故・神部和夫さんでした。
イルカさんが産休に入っていた時期でもあり、事務所としても新しい人材を探していたこともあったのですが、アマチュアでの経歴も弾き語りの経験もなく、曲を創ったこともない素人の聖子さんに神部さんは何を感じたのか…。
「ごく普通の女の子だった」という沢田聖子さんに、どんな輝きを見つけたのか…。
もしこの日、一番手の娘が最終オーディションに来ていたら…。
もしこの時、神部さんが関係者の多数の反対意見に押し切られていたら…。
もし神部さんが、沢田聖子さんの消えてしまいそうなほどの小さな輝きに気づいてあげていなかったら…。
今現在、唄を唄い続けているのが不思議なくらいの奇跡の積み重ね…。
数え切れないくらいの偶然の積み重ね…。
もし何か一つでも違っていたら、永遠にすれ違いのままだったのかもしれない。
もしかしたら、出逢っていなかったかもしれない…永遠に。
いつだったか…沢田聖子さんと出逢えたこの奇跡に、
数え切れない偶然に感謝している…と伝えたことが…。
けれど聖子さんは、
『出逢いに偶然はない…。
出逢うべくして出逢った…。
出逢うことは、初めから決まっていたこと…。』
と私達の前で、一人ひとりの瞳を見ながら話されました。
2004年の10月リリースの『HistoryⅡ』というベストアルバムで、
1曲だけ新曲を収録します。
『誕 生』
この世に生まれてきた 今日を祝おう
"心から おめでとう"
あなたが ここにいること 感謝している
近すぎると照れて 大切な言葉を
言えずにいるけど 素直に贈るよ
"ありがとう"
星の数も超える生命を
遥かつないで呱呱の声を上げた
偶然なんかじゃないさ 感謝している
生んでくれたことも 生まれてくれたことも
忘れる日ばかり… だからね、一年一度でも
この世に生まれてきた 今日を祝おう
"心から おめでとう"
あなたがここにいること 感謝している
星の数も超える生命を
遥かつないで呱呱の声を上げた
偶然なんかじゃないさ 感謝している
この楽曲を聴き、応えをもらい、私のそれまでの考えは改めさせられました。
出逢えたことは偶然ではなく、出逢うべくして出逢ったのだと。
出逢うことは初めから決まっていたのだと…。
そして、最後まで…。
2008-02-02 18:38
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矢沢永吉が最近言った言葉を思い出しました。
「どんな時代だろうと やるやつはやる」
もしオーディションに来るはずの人が来たとしても、別のチャンスがおとづれていたかもと思いました。
by 白夜のふくろう (2008-02-02 17:06)
ふくろうさん
[ハート]ありがとうございます。
なるほど…。
考え方は色々ですね。
彼女が別の道を歩んでいたら、果たしてずっと慕い続けていたかどうか…。
難しいです。
by vega (2008-02-02 19:16)
星みのりさん
[ハート]ありがとうございます。
by vega (2008-02-02 19:16)
聖子さんにそのようなエピソードがあったのですね[嬉しい顔]
興味深く読ませていただきました。
偶然であれ、必然であれ、出会えたことに感謝したいですね[嬉しい顔][揺れるハート]
by マチャ (2008-02-02 19:59)
マチャさん
ありがとうございます。
モデルの事務所からも、「決して受かるなんて思わないように。」と言われていたそうです。
本人も、イルカさんに会ってサインをもらえれば良い…という軽い気持ちで受けたそうです。
何がきっかけになるかわかりませんね…。
by vega (2008-02-02 20:46)
decoboさん
いつも[ハート]ありがとうございます。
by vega (2008-02-02 20:46)
聖子さんの子供時代の「出演作品」びっくりしました。
あの子が・・・・・
ところで、vegaさん、記事まとめるのうまいですね。
見習わなくては。[嬉しい顔]
by けんけん (2008-02-02 23:25)
人に歴史あり
ずっと芸能関係だったんだね
とも言えますし
いくつもの偶然の積み重ねだったんだね
とも言えますね。
パンシロンもケンちゃんシリーズもリアルで体験しているだけに感慨深いものがありました。
=====
頑張れば必ず誰かが見ていてくれる。
=====
と昔、職場の大先輩に言われたことがありました。
聖子さんが、やりたいことややるべきことを積み重ねていった結果が周囲の力を呼び寄せたのでしょう、と感じました。
by 退会済み (2008-02-03 05:12)
けんけんさん
ありがとうございます。
私の文章はどうも理屈っぽくて、堅いと言われます。[飛び散る汗]
私から見れば、けんけんさんの文章は親しみやすく、読みやすいです。
by vega (2008-02-03 07:41)
こーいちさん
ご自分の所が忙しいにも関わらず、ご訪問、[ハート]ありがとうございます。
by vega (2008-02-03 07:42)
FOZZYさん
聖子さんが自分のやりたいこと、やるべきことをずっと続けている様が羨ましくなることがあります。
一長一短あるかもしれませんが、それをたくさんの人が見てくれているのですから…。
by vega (2008-02-03 07:47)
沢田聖子さんが、そんな経歴の持ち主だと走りませんでした。
素敵な出会いが生まれるためのとても大切な準備段階であったような気がします[嬉しい顔]
by ひもなしパンツ (2008-02-03 13:26)
ひもなしパンツさん
ありがとうございます。[嬉しい顔]
出逢うための準備段階…。
そう感じます。
by vega (2008-02-03 18:04)
偶然が重なっているようで、必然なのかも知れません。
by narumpet (2008-02-03 18:35)
narumpetさん
音楽の神様が導いてくれたのでしょう。[複数のハート]
by vega (2008-02-03 21:33)
私がいつも思っていることは
自分は生きているのではなく生かされている[かわいい]
だから自分を だから人を
軽んじて接することはありません(^0_0^)
by 退会済み (2008-02-04 22:11)
星みのりさん
みんながそのような気持ちを持てば、もっといい世の中になるのでしょうね…。
私も忘れないように…。
by vega (2008-02-05 00:13)
ここで、この言葉があるのですね。
出逢いは、偶然ではない。
あらためて、痛感いたします。[晴れ]
by emi(*paris.p.p) (2008-10-10 17:17)
emi*paris
私の人生観を変えさせられた言葉でした。
聖子さんらしい、前向きな考え方です。
by vega (2008-10-11 00:53)
出逢いが必然なら…
訪れた別れは、新しい出逢いへのプロローグなのかもしれませんね…
流れに逆らわずに、進みたいと感じました[手(パー)]
vegaさんありがとうございます[嬉しい顔]
by naturalhoney (2009-04-12 09:59)
naturalhoneyさん
遥々、ありがとうございます。[手(パー)]
”出逢いがあるからこそ、別れがある…
出逢いがなければ、別れすらない…”
こんなふうに思うようにもなりました。
by vega (2009-04-12 17:48)
ひねさん
ばんばらばんさん
遠路遥々、[ハート]ありがとうございました。
by vega (2009-04-12 17:49)
作詞作曲の才能。それまで街角で歌ったりしていそうで、してないんですよね。
by 9000系 (2009-06-22 23:32)
デビューの頃から聞いていたのですが20歳過ぎた頃から外国とかアチコチ行くうちに器械当時カセットレコーダーも壊れていつしか音楽も聞かなくなってしまってました。1年前大学生の息子が音楽はヤッパリ聞いた方が良いよとか言った直ぐ後にたまたまYouTubeで彼女の歌を聞いてヤッパリ俺には聖子ちゃんの歌が必要だと…で最近Amazonで大人買いして毎日聞いてます。これも運命のひとつなんでしょうね?
by 風来坊 (2021-06-26 23:35)