二人の " 聖子 "  【上級編】 [二人の聖子]

まだブログを始めたばかりの頃、2007年の11月に同じタイトルで記事を書き、
あれから4年ほど経ち、今回は少し専門的に内容をグレードアップした【上級編】。
http://vega3130.blog.so-net.ne.jp/2007-11-30

松田聖子(まつだせいこ)・沢田聖子(さわだしょうこ)
80年代の歌謡界、ニューミュージック界に旋風を巻き起こした二人。
デビューから30年以上経った今も、現役で音楽活動を続けている二人。
来年、共に50歳を迎えるにもかかわらず、若々しい姿をファンに披露している二人。

1979年5月25日、沢田聖子が 『 キャンパススケッチ 』 でレコードデビュー。
その約1年後の1980年4月1日、松田聖子が 『 裸足の季節 』でレコードデビュー。

1962年3月10日、松田聖子(蒲池法子)は福岡県久留米市に生まれる。
その3日後の1962年3月13日、沢田聖子は東京都中野区に生まれる。

松田聖子は、トップアイドル歌手として不動の道を歩み続け…
沢田聖子は、シンガーソングライターとして自らの信じる道を歩み続ける。

本名と芸名の違いはあるものの一字違いの名前、誕生日が3日違いの同い年。
1年違いのデビューと、同じ歌手ではありながらジャンルが違うこともあり、
デビュー当時は、あれこれ比較されがちだった二人。

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【松田聖子】
「 ポスト山口百恵 」と言われた松田聖子は、デビュー曲から瞬く間にブレイクし、
2ndシングル 『 青い珊瑚礁 』の大ヒットを皮切りに山口百恵どころか、
80年代以降の日本を代表する、向かうところ敵なしのアイドルにのし上がる。
3rdシングル 『 風は秋色 』で初めてのオリコン第1位を果たし、
26枚目のシングル『 旅立ちはフリージア 』 までの6年間、
24曲連続オリコン第1位という驚くべき金字塔を打ち立てている。

さらに特筆すべきは、LPにおいても1stアルバム 『 SQUALL 』の第2位から始まり、
15枚目のアルバム 『 Citron 』 までの8年間、売上第1位、第2位を維持している。
一般的にシングルが活動の主であるソロアイドル歌手が、これほどの長期間に亘って
これほどのアルバム売上実績を残した例はなく、驚嘆に値する。

【沢田聖子】
沢田聖子のデビューは、イルカオフィスのオーディション合格から始まっている。
しかし当初、オーディションに参加するはずだったのは沢田聖子ではなかった。
オーディションの本命は、同じモデル事務所に所属していた別の女性だったが、
他の仕事とのブッキングのために参加できなくなり、事務所から再度選出し直している。
所属モデル一覧の本命女性のとなりで " ニカッ " と笑っている写真が目にとまり
「 この娘で… 」と、沢田聖子が急遽オーディションに臨むこととなった。

代役同然だったオーディションの参加に、モデル事務所からも
「 合格するなんて、馬鹿なことは考えないこと 」と釘を刺され、
本人も 「 憧れのイルカさんに逢って、握手とサインをもらえれば… 」
という気持ちだったと語っている。

ハンドマイクとピアノの弾き語りで 『 硝子坂 』 『 時代 』 などを唄ったが、
レコード会社や他のスタッフからは 「 やはりこの娘ではダメだ 」 と酷評された。
アマチュア経験もなく、ピアノ弾き語りも素人レベルだった事を考えれば、当たり前のこと。

当時イルカオフィスは、イルカの産休からの復帰と同時に
新人シンガーソングライターのデビューを視野に入れ、イルカのファン層とは別の
中・高生のファン層をターゲットとした新人アーティストを探していた。
この時沢田聖子の持っていた小さな輝きに気づき、大勢の反対を押し切って起用したのが
シュリークスのボーカリストであり、イルカの夫であり、イルカのプロデューサーであり、
そしてイルカオフィス社長の、故・神部和夫氏だった。

「 この娘なら行ける… 」という直感と感性が、沢田聖子の人生を変えた。
この時の決断がなければ、シンガーソングライター沢田聖子は存在していない。
本人も 「 神部さんと出会っていなければ、私は歌を唄っていない。今の私はない 」
と事あるごとに語っている。

切れてしまいそうなほどの細い糸を、やっとの思いで手繰り寄せたデビューと言える。

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【松田聖子】
松田聖子は、高校1年の時に「ミスセブンティーン・コンテスト」に桜田淳子の曲を唄った
デモテープを送り、九州地区大会で優勝したことが芸能界への第一歩だった。
芸能界への進出にはご両親の強い反対があり、その説得には1年以上かかったという。
高校3年という当時のアイドル歌手としては、遅咲きのデビューでもあった。

オーディション応募理由には、優勝特典のアメリカ・ディズニーランドへの招待と、
憧れだった郷ひろみがゲスト審査員だったこともあったと言う。
オーディション結果は、当時のサンミュージック社長や他のスタッフからもあまり高い評価は得られなかったが、女性音楽プロデューサーが熱烈に推したことからデビューに至った、
と伝わっている。
ちなみに松田聖子の九州地区優勝の情報は、当時から大スターを多数抱えていた「渡辺プロ」にも伝わっていたが、殆どのスタッフが興味を示さなかったという。

芸名の由来は、初めて出演したドラマの役名をそのまま使った、という説が有力。

決して大きな期待をされていたわけではなく、不安に包まれてのデビューだったと言える。

【沢田聖子】
沢田聖子は 「イルカの妹」というキャッチコピーを背負ってデビューし、イルカのカムバックリサイタルに同行し、デビュー間もない頃から各地大ホールのステージに立ち、大勢のイルカファンに見守られながらの出発となった。
これ以上ない、恵まれたデビューと言って良い。

それまでの女性フォーク・ニューミュージック歌手は、荒井由実・中島みゆき・尾崎亜美・
庄野真代・石黒けいなど、大人のイメージを持ったシンガーが多数を占めており、
沢田聖子はアイドル性を兼ね備えた新しいシンガーソングライターとして注目され、
80年代のニューミュージックシーンを大きく変えるパイオニアとして、
中・高校生を主としたファン層を獲得していた。
ツアーはどこもチケットが即日完売し、シングルヒットには恵まれなかったが、
リリースするアルバムは、ベスト10に第1週飛び込みランクインする勢いだった。

そんな勢いも、もう一人の " 聖子 " の勢いには敵うはずもなく、
間違われること数え切れず、偽物扱いされることも度々あり、悔しい想いをした…。

【松田聖子】
デビュー曲 『 裸足の季節 』 が化粧品のCMソングとして起用された松田聖子だったが、
本人の頬にニキビが出来ないため別のタレントがCM出演となった、という逸話がある。
ただ当時のサンミュージック社長が、松田聖子にはビジュアル的なものを期待しておらず、
もっぱら歌を前面に打ち出す方向性だった、との見解もある。

そのためサイン会などでは、そのタレントの前に行列が出来るものの、
露出度が少なかった松田聖子本人の前には誰も並ばず、
「あの娘は誰…?」という目で見られ、悔しい思いをしたと言う…。

悔しさをバネにする姿勢は、誰もみんな同じ…。

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沢田聖子ファンにとって、80年代の松田聖子は 「 憎っくき松田聖子 」 だった…。
かたやトップアイドル、かたや…。
ライヴアーティストとしてのスタイルを貫く姿に、ファンとして誇りに思ってはいたものの、
やはり比べられれば悔しさも募り、多くのメディアに登場していることに羨ましさもあった。

「 沢田 聖子 」「 さわだ せいこ 」
知らない人が読めば「せいこ」と読んでしまうのは仕方のないこと…。
しかし知っていながら、聞えよがしに「 せいこ 」と口にする人も数知れない。
含み笑いを残して立ち去る後ろ姿を、睨みつけることしか出来ないもどかしさ…
歯ぎしりするほどの悔しさ。

そして何より辛かったのが、ライヴ会場前に掲げてある「沢田聖子」の文字を見て、
「 さわだせいこ…? 松田聖子じゃないの…? 誰…? 」
とささやく声が聞こえる時…。
本当に知らない人の声が、実は一番辛いことを今も痛感する…。
耳に入ってくるそんな声に、何度拳を握りしめたことか…。

今思えば、その憎しみは " もう一人の聖子 " へのものではなく、
比べる人たちの、心ない仕打ちへの憎悪だったのかもしれない。

二人の聖子も、来年の3月に仲良く50歳を迎える。

自らの夢を追いかけるべく、全国のライヴハウスを駆け回る沢田聖子さん。
昨年30周年を迎え、武道館ライヴなど精力的に音楽活動を続ける松田聖子さん。

益々のご活躍を、願わないではいられない。
同世代を生きてきたファンとして、もう最後まで見守らない訳には行かない。

最後まで…。


【 同じファンとして 】
2011年の4月からこちらのサイトにブログを移し、
他の方の記事をあちこち拝見している中、疾風の如く走る、銀色の光を見た。

同じように、デビュー時から追い続けている。
真っ直ぐにぶれることなく、同じようにひたむきに走っている「 銀色の狼 」。

野球やプロレス、同じ年代を生きてきた者だからこそ分かる話題の記事。

遡って記事を拝見すると、松田聖子さんへの熱い想いが、愛が切々と綴られていた…。
自分と同じように、デビューからずっと離れずに…

お目当ては違っても、ファンにしか分からない想い。
ずっと追い続けている者にしか分からない想い。
ファンだから知っている、大切な想い…。

きっと同じように、周りの友人や幼なじみ等から「まだファンを続けてるの…?」と
言われて来ているのだろうな…と…。
きっと同じように、離れて行くファンの後ろ姿を見ながら寂しい想いをしたはず…。

物珍しい目で見られながらも、永遠に変わらぬ想いと夢を抱き続けている同じファン。

今回この記事を綴るに当たり松田聖子さんの過去の経歴を調べると、
勝手な解釈ながらも、同じような苦しみや挫折を経験していらっしゃることも知り、
トップでいる事の重圧は、トップに立った者にしか分からないのだろうな…と。

松田聖子さんを見る目が変わり、輝かしい80年代を共にした親しみが…。

過去のシングルなど、それまで積極的に聴くことがなかった楽曲も、
今聴いても「やっぱり、良い曲だな…」と…。

大好きな大滝詠一の作曲、ナイアガラサウンド。
「こんな名曲を、沢田聖子さんにも…」
と当時、とても羨ましく思った…。

『 風立ちぬ 』


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シゲさん

ファンとしての熱さと優しさが溢れた、とっても記事。さすがvegaさんとしか言いようがありません。

by シゲさん (2011-09-23 20:18) 

シゲさん

(誤)とっても記事→(正)とってもいい記事です。
失礼致しました。
by シゲさん (2011-09-23 20:20) 

ゆうのすけ

誕生日が 3日しか違わないというのは 初めて知りました!ちょっとびっくりしています。
80年代初頭 沢田聖子(さわだせいこ)と言っていた方が 少なくなかったですよね。
私は 友達にファンの方がいたので 沢田聖子(さわだしょうこ)さんのことは 知っていましたが 初めてシングル盤を買ったのは 「卒業」なんですね!あの頃 自宅が商売で 有線放送をひいていたので ゆうせんでは かなりプッシュしていたので 歌声は良く聴いていました。^^

でも運命は過酷ですよね!聖子さんは聖子さんであり 聖子さんは聖子さんなんですが マスコミは 上手く美味しいところをつつくんですよね。。。 でも共に ファンの方に支えられて 今があるのですもんね!これからも 独自のカラーで 唄い続けて欲しいですね!^^☆

☆彡私も 疾風の如く駆け抜ける 銀色の光を見てしまいました!^^にゃはは 
by ゆうのすけ (2011-09-23 22:03) 

アルキメデンティスト

音楽業界にいながら、今では全く違う立ち位置にいるお二人。
沢田聖子のファンを今まで続けてこられて、本当に良かった。
特に最近はこのブログを通じて、以前よりもはっきりとそう思えるようになっています。ファンになったあの頃から今に至るまで「ゆるやかな魔法」にかかったままです…。
by アルキメデンティスト (2011-09-23 22:57) 

yasuu

松田聖子さん、3月10日 生まれだったんだぁ???


ちなみに、アグネスは8月20日です。 ハイ。



by yasuu (2011-09-24 01:35) 

せいじ

私は特定のアイドルファンってなかったんですが
松田聖子のヒット曲が流れると
だいたい歌えるんですよね!
こういう存在って他にはいないかも…

友人がvegaさんと同じ想いで辛い日々を過ごしていたので
よく分かります。

「●●●の妹」ってフレーズ昔はやりましたね!
by せいじ (2011-09-24 07:06) 

DEBDYLAN

好きなミュージシャンは違っても、
熱い想いはみんな同じですね♪

by DEBDYLAN (2011-09-24 07:08) 

きたがわさちこ

松田さんと沢田さん、そういえば同じ歳なんですね。
(ちなみにワタクシも・・・笑)
なんだか沢田さんの方が、古くから知ってる気がします。
私が中学時代にいっぱい聴いたイルカさんと絡んでるからかなぁ~。
松田さんの方は、高校の頃からのイメージが強いです。
どちらの聖子さんも、ずっと一線で活動していらして、
我々世代の輝ける星です。^^
しかしvegaさんとは、本当に同年代ですねえ。
書かれる記事、書かれる記事がツボすぎ。^^
by きたがわさちこ (2011-09-24 14:50) 

olegon

こんにちは。
友人と二人揃って「悲しむ程まだ人生は知らない」を聞いて
鳥肌たたせながら青春時代を過ごしました(微笑)
by olegon (2011-09-24 15:21) 

Vaio-x

松田聖子ちゃんのファンです 
沢田聖子さん のことは あまり知りませんでした しかも年が同じとは まったく存じませんでした また 寄らせていただきます

by Vaio-x (2011-09-24 17:16) 

don

シゲさんじゃないけど、とてもいい記事だと思います。
たしかに聖子、え?ということはありましたが、
アイドルと実力派ライターの違いは、みんなわかってたと
思います。

それはそうと、松田聖子、ジャズボを一通り聞いた後で、
あらためておっさんになって聞いてみると、いいですねえ。
ボーカリストとしては今さらながら感心しています^^
by don (2011-09-24 22:05) 

Z

どこかで映像を見た記憶があるんですが、
松田聖子さんがレッツゴーヤングの司会をしていた時に、
沢田聖子さんが出演された事があったかと思います。
今思うと、夢の共演だったのでしょうね。


by Z (2011-09-25 00:57) 

vega

>シゲさん
コメント、ありがとうございます。
書き始めてから完成まで、3日を要しました。
それでも何だかまとまりのない構成になってしまいましたが…
こんな文章で何かが伝わっていたのなら、嬉しいです。
by vega (2011-09-25 07:12) 

vega

>ゆうのすけさん
「卒業」は沢田聖子さん最大のヒット曲です。
と言っても、オリコン最高位50位ですが…。
同じタイトルのアルバムも売れ、それなりに注目されていました。
ただアルバムには聖子さんの自作曲が少なく、
ファンから非難の声が多かった1枚でもありました。
デビュー時からのファンと新しいファンとの反りが合わず、
ひと悶着あった時期でもありました。
お二人とも、色々な経験を積み重ねての30数年ですから、
もう迷うことなく、それぞれの信じた道を突き進むのだと思います。
by vega (2011-09-25 07:24) 

vega

>アルキメデンティストさん
このブログを始めたきっかけは、沢田聖子さんを知らない人に少しでも知ってほしい…
忘れてしまった人に思い出してほしい…
また進行形のファンの方には、一層の想いを募らせてほしい…
という想いからでした。
僭越ではありますけれど、聖子さんの音楽に興味を抱き、
ライヴに足を運ぶ何かのきっかけになるのなら…
と思っています。
いつもありがとうございます。
by vega (2011-09-25 07:31) 

vega

>yasuu さん
3月13日誕生日の有名人では、吉永小百合さんがいます。
他には、佐野元春、鳥越俊太郎、ランディ・バース…
ちなみに私の誕生日では、浅田真央、マイケル・ダグラス…
さらに、アジャ・コング……
by vega (2011-09-25 07:39) 

vega

>せいじさん
私も松田聖子さんの曲は自分から聴くことがなかったのですが、
ラジオやTVから流れてくるメロディで、殆ど知っていますね。
そんな意味からも、改めてすごい歌手だと思います。
今の十派一絡げのアイドルとは、モノが違います。
by vega (2011-09-25 07:44) 

vega

>DEBDYLAN さん
このお二人に限らず、ファンの想いは世界共通だと思います。
マニアチックに見られることもありますが、
好きな事にのめり込む人は、みんなマニアだと思っています。
それほどまで好きになってのめり込める対象があって、幸せだと思います。
by vega (2011-09-25 07:47) 

vega

>きたがわさちこさん
お~、お二人と同い年ですか。
ちなみに私はその一つ下です。
でもこの年齢になったら、もうほとんど同い年ですね。
前回のユーミンにしても、話題が合うはずです。

流行り廃りが激しい世界で、今も第一線で活動していらっしゃるお二人、
おっしゃるとおり私たち世代の輝ける星です。
いつまでも頑張ってほしいですね。
by vega (2011-09-25 08:00) 

vega

>olegon さん
「悲しむ程まだ人生は知らない」はレコード会社移籍後の
最初のアルバムの1曲目でしたね。
どうしてこの曲をアルバムタイトルにしなかったのか…
とファンからも非難ごうごうでした。
今も時々、ステージで唄ってくれます。
by vega (2011-09-25 08:04) 

vega

>Vaio-xさん
同い年と知らない方、結構多いのですよね。
知らない人は、どちらが年上だと思うのでしょう…
ちょっと気になります。
by vega (2011-09-25 08:06) 

vega

>donさん
「シンガーソングライターが偉くて、人の楽曲を唄う人が偉くない…
という偏見を持った人がいる。
人が作った曲を唄う方が、自分の曲を唄うより難しい」
とその昔聖子さんが語っていたことがあります。
ファンに投げかけた言葉であり、自分への戒めの言葉でもあったのだと思います。

松田聖子さんのボーカルは、聴く者を惹きつける力がありますね。
by vega (2011-09-25 08:15) 

vega

>Zさん
レッツゴーヤング、松田聖子さんと田原俊彦さんが司会をやっていた時でしたね。
松田聖子さんが沢田聖子さんを紹介し、
沢田聖子さんは「青春の光と影」を唄っています。
その際、松田聖子さんが沢田聖子さんのことを
「沢田聖子ちゃん」と言っていたのが印象的でした。
by vega (2011-09-25 08:19) 

せいじ

お誕生日おめでとうございます!
by せいじ (2011-09-25 10:17) 

銀狼

すっかりご訪問が遅くなってしまいました。

まさか、このような記事を書いて頂けるとは・・・
vegaさんの聖子”shoko”さんへ対する思いを綴られた
記事に比べれば、私が書いている聖子”seiko”の記事は
非常に拙い内容ばかりでお恥ずかしい限りです^^;
でも、30年間以上一人のアーティストを追い続けてきた
思いの強さは同じ。
お互いに追いかける対象は違いますが、同じ志を持つ
者同士として、これからもお付き合い頂ければ幸いです^^

※高校の同級生などからは、ご推察の通り
「まだ聖子ファンなの!?」とよく呆れられております^^;;;
by 銀狼 (2011-09-26 00:26) 

vega

>せいじさん
ありがとうございます。^^
もう歳はとりたくないのですが、
やはり「おめでとう」と言っていただくと嬉しいものですね。
by vega (2011-09-26 21:46) 

vega

>銀狼さん
勝手な事を綴ってしまいましたが、ご勘弁ください。

この年齢になると、職場でもそれなりの立場になり、
なかなか自由も効かなくなってきました。
好きな趣味を後回しにせざるを得ない方も多いはずです。
また忙しさを理由に離れる人も…。
そんな中、同じように変わらずスタンスで追いかけ続け、
同じ想いを抱いている銀狼さんの事を知り、本当にうれしかったです。
30年以上ファンを続けるというのは、
簡単なようで簡単ではなかったはずです。
しかも松田聖子さんのようなトップの方のファンでいることは、
並みの想いでは務まらなかったはずです。

まさか松田聖子さんのファンの方によって、
松田聖子さんを見る目が変わるとは思ってもいませんでした。
これも、ファンの力ですね…
たかがファン、されどファンです。
by vega (2011-09-26 22:06) 

どんちゃん

どちらの聖子さんも大大好きだお!(沙*・ω・)
今でも沢田聖子 真くんへの手紙 沢田聖子 輝く風のように
聴いてる!アルバム卒 業 (1982.03.20)は最高だな!
でもどんSEIKO命!でした16歳ファーストコンサート感激でした!(*^_^*)

by どんちゃん (2012-06-16 02:31) 

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